かのこの読書記録

かのこの現在過去の読書記録。

ずーっとずっとだいすきだよ ハンス・ウィルヘルム えとぶん

f:id:kanohon:20170512214530j:plain

 

絵本である。

ここへきてなぜ急に絵本なのか。

理由は、家にあったから。

そもそも、このブログを書こうと思ったきっかけは、大量に家にある本をなんとかしたいと思ったから。

私、本が好きなので、捨てるにはしのびない。

売るか、ひとに譲るか。

どちらにしても手元を離れる前に、家にあった、私が読んだという記録を残しておきたい、との思いから書いてます。

なのでこれから出てくるであろう本も系統もへったくれもなくランダムに思いつくまま載せていこうと。。

そう思っております。

 

で。

本棚から何気なく選ばれたこの絵本。

絵本なので簡単に読み返すことができました。

本の内容を説明すると、(↓ここから内容知りたくない方は読まないでください。)

 

 

主人公の男の子が犬を飼う。

毎日一緒に遊んだり、一緒に寝たり。

時には悪さもするけれど、それも含めて、男の子はこの犬が好き。

男の子の家族も、この犬が好き。

みんな好きだけど、唯一違うのは、

男の子だけが、犬に、大好きだよ。って伝えていたこと。

家族はそんなこと言わなくてもわかってると思って言ってないんだけど、

男の子は、毎日、犬に言うのです。

 

ずーっとずっとだいすきだよ。

 

って。

 

そんな犬もやがて年をとって死ぬ。

死んだ時、家族みんな悲しんで泣いた。

男の子も悲しかったけど、いくらか気持ちが楽だった。

それは、なぜかというと、男の子は、

 

毎晩、犬に大好きだよっていってやっていたから。

 

って言うのですよね。

 

にいさんやいもうとも、エルフィーがすきだった。でも、すきっていってやらなかった。ぼくだって、かなしくてたまらなかったけど、いくらか、きもちがらくだった。だってまいばんエルフィーに、「ずーっと、だいすきだよ」っていってやっていたからね。

 

この絵本はこの文章に尽きると思う。

私はこの絵本に出てくるにいさんやいもうとだ。

好きって気持ち。言わなくてもわかると思ってる。

実際、そうだと思うし。

でも。。

生きてるもの同士、好きって気持ちも、無限じゃないし。

生きてるものすべても無限じゃないし。

いなくなってから後悔しても遅いんだよね。

 

好きって。だいすきって。

目の前にいるうちに言っておけば良かった。

 

このことを、教えてるいるのだなあ。

っと思いました。

 

いつかぼくも、ほかの犬を、かうだろうし

子ネコやキンギョも、かうだろう。

なにをかっても、まいばん

きっと、いってやるんだ。

「ずーっと、ずっと、だいすきだよ」って。

 

 

『捨てる勇気!~あなたの日常にも新陳代謝を~ やましたひでこ』

読書感想文的なものって苦手だ。。

なに書いていいかわからない。。

苦手だけど読書日記的なブログを書こうと思ったきっかけは、

にあふれ返る本をなんとかしたいと思ったかから。

捨てるなり売るなり。

とにかく処分したいと。

っで、処分する前に、読んだ記録を残しておきたいなあ、と。

っで、ブログを始めてみたのだけれど。。

 

いざ、書こうと思うと、

やっぱなに書いていいかわかんないw

 

なので。

読んで気になった個所に付箋紙貼ってってみることにした。

付箋紙は、このためにわざわざ買ってきたのではなく、これまた家に大量にあったから。

いずれ使うだろうととっておいたら増えてくばかりで

そしてまた、使いたいときもなんとなくもったいない気がして使わないでいたら膨大な量になってしまった。。

これは付箋紙に限ったことではなく、本もだし、服もだし、あらゆるモノに対してそんなかんじ。

そう。

私は、もったいながり屋さん。

そして捨てられないさん。

 

そんな私を。

少しずづ変えていきたいと思ってる。

 

で、本題。

今回読んだ本は、

やましたひでこの

捨てる勇気!~あなたの日常にも新陳代謝を~

なんと!今の私にぴったりの本ではないかw

 

はっきりいってこのテの本は今までいやになるほど見てきた。つもり。

どうやったら片づけられるかって本でしょ、と思いながら見たんだけど。

私がこれまで読んできたいわゆるハウツー本とは違い、何と言ったらいいか。。

モノに対しての考え方の本?

精神論的な。。

作者はかの有名な「断捨離」を書かれた方で(こちらはまだ未読であるw)

断捨離とはヨガの行法哲学「断行・捨講行・離行」から着想を得たとか。

なるほど。本の内容は全般に渡ってヨガ的である。

読んでても精神的にすごく心地良い。

片づけは、こうしなさい、ああしなさい、みたいな押し付けでなく、

というか、片づけ方法などどこにも書かれてない。

だから、片づけの方法を知りたい方にはこの本は適さないと思われる。

でも、私みたいに、片づけたいけど、捨てたいけど、いざ捨てると思うと

もったいない、捨てられない、ってひとは読んでみたらいいかなって思う。

 

うまいこと文章にのせられないので、気になったフレーズを残しておもうと思う。

 

さあ、「引き算のある暮らし」を始めよう

 足りないことと多すぎること。

 どちらが私にとって得なことで、どちらが私にとって損なことなのだろう。

 

こんな書き出しから始まる。

問われる間でもなく、足りないことの方が損。だと思う。

でもそうではないのだよ、っと筆者は言う。

 

憂うべきは「不足」より「過剰」

 

確かに私はいま、過剰であることに憂いている。

モノに対してもそうだけど、物事に対しても処理しきれず憂いている。

この本を読んでくと、そんな、頭の中の思考までも、整頓されてくかんじ。

 

納める片づけ。

捨てる片づけ。 

 

捨てられない私は今まで納める片づけばかりしていた。

 

 始末をつける。新たな一歩が始まる。

 「始末をつけた自信」が持てる

 

今までの私は、始末をつけないでいたから

何事に対しても、始末をつけないことが「クセ」みたいになって

「とりあえず、おいておこう」という 思考回路になってたんだなあ。っとおもう。

 

「モノ」より「空間」を片づける

 

モノを片づける⇒モノを納めていたから、モノは片付いても空間は片付いてない。。

そういうことなのだと思う。。

 

だからといって、やたらに捨てろ捨てろと言っているわけではない。

この本では、片づけなければならないからといって片づけたくない、捨てたくないものは、無理して片づけなくても良い、と言っている。

片づけられない、捨てられない、という思考から、片づけたい、捨てたい、という思考への変換の仕方を、わかりやすく書いてる。

わかりやすく書かれてはいるんだけど。。

この辺は、わかっちゃいるけど、文章にすればそうなんだろうけどw

って思うところではありました。

 

ただ私、面倒くさいって言葉最近よく使うんだけど。

これは片づけに関してではなく仕事でだったり人間関係で思ことなんだけど。

 

面倒な作業。

面倒な出来事。

面倒な人間関係。

そうですね、私たちは、そんなにたくさんのモノ・コト・ヒトを維持管理できるようにはできてはいない。だから面倒になってしまうのです。

 

不足を目にした時、面倒だという感情はおこりにくいだろう。

少ないモノは大切に維持管理しようと思うもの。

 

ここのフレーズにハッとさせられた。なるほどなあ。納得。

 

面倒だと思うことは、面倒くさいと感じることは、身体と心からの、命からのメッセージなのかもしれない。今現在、自分がかかわっているモノ・コト・ヒトが、今現在の自分にとって「過剰」になりすぎていることの警告メッセージ。

 

優先したいのは「足し算」より「引き算」

 

この本では行き過ぎたシンプルライフについても警鐘をならしている。

何もない暮らしは無味乾燥であり、

あくまでシンプルライフは手段であり目的であるべきではない、と。

この辺は今の私には関係ないのでw

斜め読みしましたw

なにもない暮らし。。憧れますけどねw

 

「忙しい」「狭い」「疲れた」を断捨離する

 

面倒くさいに次いで疲れたも連呼する私。

日々疲れなくなったらどんなに良いだろう。。

そう思いながら、読む。

この辺からますます思想的になってくるなあと思い読み進めていくと、老子の言葉が出てきたりして。

学を為せば日に益し、道を為せば日に損す

(学問をすれば、日に日に知識は増える。「道を」修めれば、日に日に知識は減ってゆく)

  知識を得たいのなら増やしていきなさい。

  知恵を得たいのなら減らしていきなさい。

 

筆者は新井満氏の『自由訳老子』も引用している。

新しいことを一つ始めるよりも

余分なことを一つ減らしなさい

有益なことを一つ始めるよりも

無益なことを一つ減らしなさい

 

ここからは気になったフレーズの引用のみ。

 

「新陳代謝

捨てれば得られる。

 

生きることとは、暮らしていくこと。暮らしていくことのそのほとんどは、命の維持管理というメンテナンスに占められている。だから、このメンテナンス作業そのものを愉しめたとしたら生きていくことは愉しいに違いない。

 

旅行も現実、日常も現実

 特別な非日常的な体験が、「特別な私」をつくるのではなく。

 特別な非日常的な経験がないと、「特別な私」になれないのでもなく。

 

「ツイてる、ツイてない」の囚われを手放す時

 

「家の中で、ため息をついていませんか」

 それが、私が断捨離を世に向けて発信しだした当初からの問いかけ。必要か不必要かも意識されることなくモノたちが詰め込まれた収納空間。

 

調和に永続はない

 調和とは、もともと刹那であり、一瞬一瞬のものでしかないのです。

調和とは、調和した瞬間、変化へと向かっていくもの。

 

変化とは、新陳代謝

 

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」

 

 

 

 

家康、江戸を建てるを読んで。

f:id:kanohon:20170512214648j:plain

私は歴史がわりかし好きで、特に日本史が好きで、その中でも特に戦国以降の歴史が好きで、その手の本を読んだりするのだけども。

徳川家康だけはあんま好きじゃないのですよね。。

好きじゃない、と言えるほど徳川家康のことを知っているわけではないのでわたしの言ってる好き嫌いは単なるその人物に対しての漠然としたイメージでしかないのだけども。

家康ってなんか。。

腹黒い、タヌキおやじ的な、、そんなイメージ。

何かを根拠にしていってるのではなく漠然としたイメージだけで言われる家康も迷惑でしょうが、私ごときが思い描くイメージで家康も気分を害したりしないでしょうから良いのではないでしょうか。

 

とにかく、そんなイメージを描いている家康の本、というのはいままであんま読んでこなかった。

しかし今回、この本を読んでみようと思ったのはくらげネコさんがブログで紹介してて面白そうだったから。

で、読んでみたんですけども。

面白かったです。

なんというか。。

それまで私が描いてきた漠然としたイメージ。家康に対するイメージが変わりました。

あんま好きじゃない

から、

家康、すげー。

に変わりましたw

 

家康ていうと、関ヶ原の戦いにおける智謀、謀略ってのがなんか、、

正義の三成に対して、なんか、、

腹黒い、計算高い、ずるい、

てイメージだったんだけど。

 

なにもない関東を、ゼロから百万都市へ築きそして育てあげたってのがやっぱすごい。

それまで誰もなしえなかったことをやったってのがすごい。

その後江戸幕府二百数十年も続いた礎を築いたのだから。。

 

この本は

第一話 流れを変える

第二話 金貨を延べる

第三話 飲み水を引く

第四話 石垣を積む

第五話 天守を起こす

の五つの話からそれぞれの専門に命を懸けた人々の話を通して家康を描いているんだけども。

どの話もわかりやすく読みやすかったですし、おもしろかったです。

結構有名な話ばかりなので知ってる方も多いかとは思うし、私も読んでで、

ああ。そういえばこの話知ってるなあ、っていうのばっかだったんですけど、

それでも今まで悪いイメージしかなかった家康像がこの本を読んで変わったってことは、

この本の構成と作者の読ませ方が素晴らしいのだろうなー。っと思いました。

この方の書いた別な本も読んでみたくなりました。

 

読んで良かったです。